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2012年3月 2日 (金)

関東の茅葺き王国・茨城の不思議/塙家住宅

やさとの北隣の町、岩間(笠間市)には、国重要文化財の塙家住宅があります。
当保存会でもお世話になっている茅葺き職人の広山美佐雄さんが
葺き替えなど手入れを行っていると伺って、見学に訪ねてみました。

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江戸時代に建てられた家屋は、主屋と釜屋が隣接する別棟の、「分棟型」と呼ばれるもの。

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説明を読むと、このタイプが、いわゆる「黒潮のみち」に沿って分布していることが分かります。

だとすれば、茨城でも海岸沿いや霞ヶ浦沿いにあってもよいはずですが、内陸にみられるというのは、たしかに謎です。
たまたまこの建て方の得意な棟梁が流れてきたのか、
こちらの地元の人がどこかで見てきて真似したのが広まったのかな、と想像してみます。

2棟が別棟のため、つなぎめの谷には木製の大きなトイが設置されています。これが昔からのカタチなのだとか。

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なぜ東北から県北にかけて見られるような曲家にしなかったのか。
曲家というのも、曲げた谷の部分は傷みやすく家主と職人泣かせには違いないのですが。

最初は別々だったのが、「これなら繋いじまうべ」と、北に行って発展したのかな……。

じつは茅葺き屋根のつくりも、同じ茨城県内、筑波流といえども、親方によって
仕上げ方が異なります。現場合わせの工夫次第の部分が多いので、
どの親方の下で経験を積んできたかで、やっつけ方が違うのです。
そういうなかで、お互い「俺らがいちばん」と譲らずに競い合った結果、
いろいろなデザインが発達しました。
残された建物を見ながら、昔の人の仕事ぶりを想像すると、
往時の職人のキャラクターまで立ち上ってくるようでおもしろいです。

建物の入り口に据えられていたのは、家主の塙氏による覚え書。

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家人は同じ敷地内の別棟に住んでいます。この建物に居住していたころは、
屋根は続きになり、天井板も付けられ、建具も変えて住みやすく改装されていたのが、
覚え書きからは分かります。文化財となって復元修理が施され、天井板を外し、建物は江戸時代の姿に戻りました。
重要文化財は昔を顧みることのできる残された貴重な展示物です。

一方、人が住み続けている民家は、昔ながらの姿をとどめているわけではなく、
そこからは昔を正しく知ることはできないかもしれません。
けれども、今風に変えるところは変えながらも、雨漏りの心配をしつつ
毎年茅を刈りに行く暮らしが続けられていることもまた、ひとつの価値だといえるのでしょう。
ただし、そうした暮らしが続くのも、いまが最後の世代。
20年後の日本では、茅葺き屋根といえば展示物の重要文化財ばかりになっているのかもしれません。

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